何故、スペイン?
最初の出会いは小学生の頃に見た香港映画。
スペイン・バルセロナを舞台にしたカンフー活劇。
この作品の中で、香港スターのアクション以上にインパクトを与えてくれたのがサグラダ・ファミリアという建物。
100年以上経っても未だに完成を見ないというその建造物に、幼心ながら壮大な浪漫を感じ、いつかはリアルな映像を見てみたいと思うようになる。
歳を重ねるに連れ、世界の歴史や文化・宗教に触れる機会も増え、その中で一番興味惹かれていったのが、やはりスペイン。
サグラダ・ファミリアしか知らなかったのが恥かしい。
悠久の歴史の中で宗教と融合しながら生まれてきた美が、この土地には数多く存在する。
正直な処、宗教の教義自体はどうでもよい。
各時代の指導者が都合の良い解釈・改変を繰り返し、そぐわない分子は排除する。
時には対立し、分裂又は指導者気取りの手によって新興勢力が生まれ、宗派同志の新たな抗争へと繋がる。
それを繰り返してきた結果が現在の無節操な宗教の氾濫と横暴、そして戦争という負の螺旋に陥いっている世界。
宗教の本質とは何なのだろう。
宗教者と名乗る者達が小銃を掲げ、神への祈りを捧げる。
そんなアンバランスな画を見る度に、この疑問にぶつかってしまう。
勿論、真実の歴史を知らないので、偏りすぎた見方ではあるとは自分でも気付いているつもり。
だから、これは個人的な主観であって、それらを否定するものではないので悪しからず。
そんな宗教観な自分ではあるけれど、ひとつだけ惹かれるものがある。
それは信仰という人の内面的な部分。
自分の信じる神を敬い、自らを律する事により、その姿を追い求める。
純粋なる探究心。
そして、その信仰を証明するために生まれた芸術や建造物。
昔は特にその心が強かったのだと思う。
写真やテレビで見る度に、その厳かで圧倒的な画に惹き込まれていく。
そして或る日、キリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラとその巡礼路を知る。
サンティアゴとはスペイン語でキリストの十二使徒の一人、聖ヤコブを意味する。
コンポステーラはお墓。星の野原とも訳すらしい。
つまり、この地には聖ヤコブが眠っている。
この聖なる地に向け、巡礼者は自分の信仰を示すために歩き続ける。
信仰を行動で示し、その先々にあるのは多くの試練と歴史の中で形作られた信仰の証。
巡礼者達はその中で何を感じ取っていくのだろう。
無宗教な自分ではあるけれど、その心に共感してみたい。
しかし残念な事に、社会的な業に縛られている自分にとって、長期に休暇を取る事が出来ない。
これが現実。
可能ではあるけれど、それを実行する覚悟が今の自分にはない。
もし自分に信仰というものがあれば、そんな程度。
でも行きたい思いは既にリミットオーバー。
今年上手く取得出来たとしても最長9連休。
どうしよう。
この時、もうひとつの自分の興味がリンクする。
海外をバイクで走りたい。
日本ではない何処かを自分の好きなバイクと共に駆けたい。
歩きではないけれどバイクで巡礼者と同じ道を歩めないだろうか。
距離もバイクであれば十分な期間。
勿論、勝手の分からない土地を一人で走るのは無謀な事かもしれない。
大体バイク自体如何するんだ。
でも実行したい衝動が「なんとかなるでしょ」「行動を起こせ」と煽る。
そして5月のゴールデン・ウィークを越えた頃、まともな連休生活をおくれなかった気持ちも手伝い、旅の準備が始まる。
最初の出会いは小学生の頃に見た香港映画。
スペイン・バルセロナを舞台にしたカンフー活劇。
この作品の中で、香港スターのアクション以上にインパクトを与えてくれたのがサグラダ・ファミリアという建物。
100年以上経っても未だに完成を見ないというその建造物に、幼心ながら壮大な浪漫を感じ、いつかはリアルな映像を見てみたいと思うようになる。
歳を重ねるに連れ、世界の歴史や文化・宗教に触れる機会も増え、その中で一番興味惹かれていったのが、やはりスペイン。
サグラダ・ファミリアしか知らなかったのが恥かしい。
悠久の歴史の中で宗教と融合しながら生まれてきた美が、この土地には数多く存在する。
正直な処、宗教の教義自体はどうでもよい。
各時代の指導者が都合の良い解釈・改変を繰り返し、そぐわない分子は排除する。
時には対立し、分裂又は指導者気取りの手によって新興勢力が生まれ、宗派同志の新たな抗争へと繋がる。
それを繰り返してきた結果が現在の無節操な宗教の氾濫と横暴、そして戦争という負の螺旋に陥いっている世界。
宗教の本質とは何なのだろう。
宗教者と名乗る者達が小銃を掲げ、神への祈りを捧げる。
そんなアンバランスな画を見る度に、この疑問にぶつかってしまう。
勿論、真実の歴史を知らないので、偏りすぎた見方ではあるとは自分でも気付いているつもり。
だから、これは個人的な主観であって、それらを否定するものではないので悪しからず。
そんな宗教観な自分ではあるけれど、ひとつだけ惹かれるものがある。
それは信仰という人の内面的な部分。
自分の信じる神を敬い、自らを律する事により、その姿を追い求める。
純粋なる探究心。
そして、その信仰を証明するために生まれた芸術や建造物。
昔は特にその心が強かったのだと思う。
写真やテレビで見る度に、その厳かで圧倒的な画に惹き込まれていく。
そして或る日、キリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラとその巡礼路を知る。
サンティアゴとはスペイン語でキリストの十二使徒の一人、聖ヤコブを意味する。
コンポステーラはお墓。星の野原とも訳すらしい。
つまり、この地には聖ヤコブが眠っている。
この聖なる地に向け、巡礼者は自分の信仰を示すために歩き続ける。
信仰を行動で示し、その先々にあるのは多くの試練と歴史の中で形作られた信仰の証。
巡礼者達はその中で何を感じ取っていくのだろう。
無宗教な自分ではあるけれど、その心に共感してみたい。
しかし残念な事に、社会的な業に縛られている自分にとって、長期に休暇を取る事が出来ない。
これが現実。
可能ではあるけれど、それを実行する覚悟が今の自分にはない。
もし自分に信仰というものがあれば、そんな程度。
でも行きたい思いは既にリミットオーバー。
今年上手く取得出来たとしても最長9連休。
どうしよう。
この時、もうひとつの自分の興味がリンクする。
海外をバイクで走りたい。
日本ではない何処かを自分の好きなバイクと共に駆けたい。
歩きではないけれどバイクで巡礼者と同じ道を歩めないだろうか。
距離もバイクであれば十分な期間。
勿論、勝手の分からない土地を一人で走るのは無謀な事かもしれない。
大体バイク自体如何するんだ。
でも実行したい衝動が「なんとかなるでしょ」「行動を起こせ」と煽る。
そして5月のゴールデン・ウィークを越えた頃、まともな連休生活をおくれなかった気持ちも手伝い、旅の準備が始まる。